2008年12月
2008年12月31日 (水)
2008年12月30日 (火)
365万人の胃袋を預かる台所
車で20分ほど行くと「南部市場」(横浜中央卸売り市場)
がある、正月用の食料は何時も此処に買出しに行く・・・
物が豊富で新鮮・・・・と言うことは、消費者の購買意欲
を掻き立てる一番の要素・・・・
此処でのもう一つの楽しみは、場内食堂で食べるランチ
で、一年に一度の豊穣の時である・・・・
今日の選択は・・・・「カキ・アジフライ定食」・・・・
まるで獲れたての材料だから・・・・旨い・・・・・・。
市場に、正月宵に買い物をする時は何時も寒い日を
思い出す・・・・ 殊に水を大量に使うのと風が吹き抜
ける構造から「市場は寒い」・・・・ の印象が強い。
ところが、今日の市場は本当に温かく、車の中では汗
ばむ始末・・・・ こんな暮れも珍しい。
2008年12月29日 (月)
2008年12月28日 (日)
晴れでも、ブルーじゃない
昨日のブルー・デーは本当に美しかった、写真としては
雲が欲しかったが、それはそれで透明度の高い空気と
しては素晴らしい日だった・・・・
今日も朝から晴れ・・・・ でも、遠景を見ると下部が赤
っぽい・・・・ それでも、あわ良くば・・・・ とスカイウォ
ークに向かう。
着いて見ると、昨日と全く違う事を知らされる・・・・
そう、気温が高いのだ・・・・
以下にupする画像の一枚目が、撮りっぱなし。
二枚目が、レベル調整後の画像。
三枚目が、Photoshop CS3 にて富士のみをブースト
したもの。
〔ブーストの方法〕
今週の初めに逗子の披露山で撮った富士の頂上部分
のみを不透明度23%でレイヤー結合したもの。
スカイウォークを歩くも少しの寒さも感じない、まるで
暮れの28日なんて思えない・・・・
やはり、こんな日は空気が澄むことは無理・・・・・・。
2008年12月27日 (土)
2008年12月26日 (金)
梅屋敷商店街
先日TVのカメラ・ルポで「梅屋敷商店街」を報道していた、
13~14年前にもなろうか・・・・ 一度ぶらついた事の
ある商店街で、非常に懐かしさを感じたのと、その頃か
ら見るからに零細商店街と言うイメージだったのに・・・・
繁盛していた商店街でさえも閉鎖に追い込まれる昨今
のご時世なのに・・・・
TVで見る限りでは元気そうな商店街に見えた・・・・
風は寒風と言うに相応しく、体感温度を下げている今日
その「梅屋敷商店街」を訪ねる・・・・
なるほど元気な商店街に来た様な気がする・・・・
だからと言って個々の商店は、それほどの繁盛とは思え
ないし、それほど売れている様子もない・・・・
でも、シャッターを下ろしている店は見当たらない・・・・
これは、マーケティングとはかけ離れた何かがある・・・・
2~3の店を覗いて見る・・・・ やはりそうだ・・・・
店をやっているのは、採算だけでは無いのだ・・・・
それでは何・・・・? 説明はむずかしいが・・・・?
「人情」と言う筋が一本支えているのだと思う!
その雰囲気は行って見なければ分からない・・・・
日本語にしか無い「人情」なのだろと思う・・・・
出来るだけ何時までも元気でいて欲しいと祈る!
〔かつては隆盛であっただろう事を連想させる〕
〔+100円でドリンクバーが付く〕
〔珈琲自慢! と言う店もあった〕
2008年12月25日 (木)
二日続きの新横浜
昨日、久し振りで訪れた新横浜だったが、また今日も新
横浜を訪れる事になろうとは思ってもいなかった・・・・
昨日は病院への見舞いという目的のもと訪れたものだ
が、今日は散策を兼ねてのこと、用済み後は今年新装
成った駅舎のビルの最上階のホテルの前のカフェでゆ
っくりとお茶をする・・・・・・。
実は、この風景は4月24日にアップしている、あの時は
工事中だった駅前の交差点を結ぶ真円形の歩道橋もす
っかり完成し、この街の機能としては無くてはならない存
在となっていた。
〔駅ビルの10階から俯瞰する、ホームに東海道新幹線
の上りが着いているのが見える〕
2008年12月24日 (水)
新横浜界隈
新横浜と言う街が出来る! と言う話のスタートから思
い起こすと、自分の知る範囲では40年前・・・・
街を造り初めてから30年・・・・
街が出来てから20年・・・・
新幹線が通り、新横浜駅が出来てから30数年が経った
いま、街はビルも駅舎も二代目に建て変り、立派な美し
い街並みになった。
通りを3本ぐらい外側に外れたところに、日産スタジアム
があり、横浜労災病院がある・・・・
出来た事も、ある事も、ある場所も知ってはいるし、1~
2度は行った事もある・・・・
今日、横浜労災病院に友人を見舞い、友人がベッドを外
している10数分間のあいだに、病室の窓からその位置
関係を眺めながら確認し・・・・
改めて時の流れを実感する・・・・
田圃だったこの辺りは、その面影が残っている・・・・・・。
〔横浜労災病院の7階病室から日産スタジアムと第三
京浜港北インター方面を臨む〕
30~40年も昔のこと・・・・ザリガニを捕りに来た川も
今は整然と整理された護岸の中にひっそりと流れて
いた・・・・・・。
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2008年12月23日 (火)
2008年12月22日 (月)
2008年12月21日 (日)
2008年12月20日 (土)
2008年12月19日 (金)
散歩のローテーション
今日の散歩のローテーションは BAY QUARTER YOKO
HAMA へ・・・・
若し此処が住まいだったら好いだろうに・・・・ と思いな
がら歩いてみる。
横浜駅東口をそごうデパートに向かう → 2階広場から
動く歩道の付いた渡り廊下橋で入り江の海を渡る。
BAY QUARTER YOKOHAMA の3階に着く、日用品の店
他、欲しいものは大体売っている。
→ 同じフロアーから、レジデンス・タワーの玄関口にへ
と繋がる、レジデンスの中庭は楓が紅葉していた。
JRを降りて此処まで、雨が降ろうが、雪が降ろうが濡れ
ずに家に着ける・・・・。
歳を摂ったら、こんな住まいも好いなあ・・・・と思いなが
ら散策したら、本当に乗り気になりそう・・・・・・。
兎に角、横浜って本当に好い街だなあと、つくづく思う。
2008年12月18日 (木)
2008年12月17日 (水)
2008年12月16日 (火)
2008年12月15日 (月)
2008年12月14日 (日)
山手冬紀行〔木造洋館建ての面影〕
山手とは、横浜開港に当り外国人居留地を定めた、その
外国人居留地の跡が基となっている・・・・
神戸の「北野」長崎の「出島」も、全く同じ理由から生まれ
た街である。
神戸の「北野」などは、 今でもその頃の街の形態が残っ
ており、観光としても観るところが多いが、横浜の山手は
関東大震災、第二次世界大戦・・・・等で歴史的建造物は
倒破壊されてしまい残されているものが少ない。
種々手を入れて保存されている木造洋館建てが7棟あり
当時の面影を残している・・・・・・。
〔ブルフ18番館〕
関東大震災後に建てられたもので、その後の解体移築の
際の調査で、震災で倒壊した建物が火災を免れたため、
旧部材を使って再建されたものと判明。
2008年12月13日 (土)
2008年12月12日 (金)
2008年12月11日 (木)
桜木町界隈の今・昔
JR根岸線の桜木町を次駅の関内に向けて発車すると
直ぐに大岡川の鉄橋を渡ります・・・・
私は、この辺りの風景が好きで四季を通じて何回とな
く撮る風景です・・・・
ここにアップする風景は今年の11月7日の撮影による
もので、約1ヶ月前の「ソメイ吉野」の紅葉です・・・・
実は、4枚目にアップした古い写真が、丁度この辺りを
撮った明治時代のもので、この写真と並べて「桜木町
界隈の今・昔」としてブログ・アップを考えていたのです
が、この明治時代の写真を仕舞い失くし、どうしても見
つからずに1ヶ月が経ってしまいました・・・・
昨日、ひょんな事からその写真が見つかり、今日のア
ップに漕ぎ着けた次第です。
1・2・3枚目ともに今年の11月7日の撮影のもので、
関内側から大岡川を渡ると桜木町界隈で、みなとみ
らい21地区に繋がる高層ビル群の街が臨めます。
一方、4枚目にアップした「大岡川」(明治時代)の写真
には二つの洋館建ての建築物が見えますが、これが
“汽笛一声新橋を・・・・”で知られる、我が国始めての
汽車(当時は丘蒸気と称んでいた)の横浜停車場です。
この両者をじっくりと見比べて、流れた歴史の時間と、
人間が造って来た営みの積み重ねを感じ摂って頂き
たく思います・・・・・・。
※大岡川とは、一時ゴマあざらしの“タマちゃん”が
出没して話題となった河川でこの先のMM21地区
で海に出ます。
横浜市南区の「上大岡」が川源で、この桜木町ま
での河岸の両側がソメイ吉野の並木で桜の名所!
【明治時代の大岡川と横浜停車場(現桜木町界隈)】
私は、この辺りの風景がとても好きで、良く撮るのです
が、本当はもう一つ、暗い事件を思い出します・・・・!
それは、私が高校2年になった4月に起きた「桜木町
事件」(桜木町事故とも言います)。
「桜木町事故」
1951年(昭和26年)4月24日に桜木町駅構内で起きた
事故で(当時は桜木町事件と称んでいた)、構内の電気
工事中に作業員の不注意が基で、架線が垂れ下がった
ままのところに下り列車が進入し、パンタグラフが絡まっ
て火災事故が発生した。
当時の車両は「63型」と言う戦時設計によるもので、極
端に材料等も減らした、戦前の車両よりも悪質のもので
あった。 構造的にも窓が3枚で上下が中間に向かって
移動するのみで事故に遭っても、人が外に出ることが不
可能であった・・・等々が災いして多くの犠牲者が出た。
焼死者 106人
重軽傷者 92人
と言う痛ましい大惨事となった舞台でもある・・・・・・。
桜木町界隈の風景は、そんな昔からの時代の変遷を、
じっと見守って来ているように思えます。
桜木町事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E6%9C%A8%E7%94%BA%E4%BA%8B%E6%95%85
2008年12月10日 (水)
横浜骨董市
このところ年二回の「横浜骨董市」が恙無く開催されて
いる。 年二回と言うからには時季も等分されている筈、
と思いながら前回の骨董市のブログを繰ってみる・・・・
6月10日とある、実は内心まだ6ヶ月が経ってはいない
だろうから、会場の都合か? 参加業者の都合か? で
1~2、3ヶ月のずれは良し・・・・ としているものと高
を括ってブログを繰った・・・・
きっちり、6ヶ月が過ぎている・・・・ それ程斯様に月
日の経つのが速い・・・・・・。
会場は毎回「産業貿易会館」の1F全部を使う広さで開催
される。 数えてもみないが相当の参加店舗数だ・・・・
その店舗すべてが、の~んびりと・・・・ 売れても売れな
きとも全く気にする様子も無く、お祭り気分でやっている。
この世知辛いご時世に、こんな催し物は、是非無くしたく
ないものである・・・・・・。
2008年12月 9日 (火)
いちばん短い散歩
昨日は晴れ間が出てはいたものの寒空で、散歩に出
渋ってしまった。
何処へも出ない日があると、唯でさえ残り少ない時間
に輪をかけて無駄に終わってしまった様な気がする。
そんな損失がなるべく無いように・・・・
何時も関内大通りをバスで通る時に見かける「サッポ
ロラーメン・味の時計台」、先日バスで前を通るだけで
なく、前を歩いた、その時たまたま店内から人が出る
ためにドアを開けた・・・・ その時に見た店内の雰囲
気からすると、若しかすると札幌を凌ぐかも知れない!
と思った印象が残っている・・・・
今日は、この店を征服する・・・・
美味しかった・・・・! 若しかすると最初で最後である
かも知れない・・・・と言う気持ちがあり、一番メニュー
の“帆立バターの醤油”を食べた! 「時計台」は
昔札幌では食べたことがある、今度この店に来る事
があったら、“昔風ラーメン”と言うメニューにしよう・・!
若しかしたら、札幌で食べた頃の味を言うのかも知れ
ない・・・・などと思いながら「吉田橋」を渡り、 伊勢佐
木町に入る、和菓子の“みのや”の前を通り有隣堂へ、
「吉田橋」は何気なく通り過ぎているが、その昔はこの
橋の関門を通って外人居留地の関内に入った由緒あ
る橋・・・・、 有隣堂で賀状の資料を種々観て、参考
資料を一冊買って帰宅する。
バスに乗ったら小雨が降りだす・・・
この頃天気予報が当る・・・・ 3,082歩の散歩。
2008年12月 8日 (月)
2008年12月 7日 (日)
披露山からの富士
マウント・フジから此処までは、凡その距離で200kmは
は離れている。雲が無く有視界距離が遠くまで伸びてい
る日でも温暖な気候の日では、 どうしてもガスで霞んで
しまう、特に海岸線の上はガスの濃い日が多い・・・・
一年を通じて、富士の良く見える日は、 やはり寒い日で
晴れている日。
今日は若しかしたら良く見えるかも知れない・・・・ と家
族づれのドライブと洒落る・・・・
途中で確かめると、「坂の上」と言うバス停からは雪のシ
ャドー部までがくっきりと見えた、よしよしとばかりに途中
「宝山豚」の厚切りと言うやつで昼飯とする・・・・
これがいけなかった・・・・! 逗子の「披露山」に着いた
のが午後の2時半になってしまい、 先程の印象とは程
遠い富士になってしまっていた・・・・ これも自然現象
の変化の速さの厳しい例だ・・・・
写真は、美しい! と感じた時が今だ! その時は再度
は無い! これも「一期一会」と教えられる・・・・・・。
だからこの写真も一期一会だ・・・・ しかも今シーズン
始めての「披露山から江ノ島・富士を臨む」・・・・・・。
2008年12月 6日 (土)
2008年12月 5日 (金)
晴れのち嵐
気象情報では午後から荒れることになっていたが、朝
からの風は止まないが気温も18~20度と温かく、昼
になっても有視界の半分以上が晴れ間・・・・
この風で銀杏の葉が道路一杯になった風景が撮れる
機会だろうと出掛ける・・・・
日本大通り、山下公園通りの銀杏並木は未だしっかり
葉のついている樹と、道路一杯に散り敷いた樹とが半
半ぐらい・・・・・・。
概ね撮り終えたのが「メルパルク」の前、此処は入った
事がないが、これも勉強・・・・と、旧郵政省時代に全国
に建てた結婚式場、ホテル設備の喫茶室に入る。
ひと休みもしたし、さて帰宅の途に着かん・・・・としたそ
の時! 一天俄かに真っ暗になり、どしゃ降りの雨・・・・
また暫く休憩・・・・
大自然の変化の恐ろしさを知る・・・・・・。
2008年12月 4日 (木)
2008年12月 3日 (水)
神谷バーとデンキブラン
「神谷バー」と言っただけで “デンキブラン” が直ぐに出
る人は、団塊の世代以上の人か、或いは愛飲家である。
ここは浅草一丁目一番一号、東(あづま)橋交差点の角
にある「神谷バー」百年の歴史を誇りながら健全である。
神谷バーの創始者「神谷伝兵衛」が作ったアルコール
飲料“デンキブラン”は明治43年に始めてこの世に生ま
れた。 太平洋戦争でこの辺は焼け野が原になっている
から浅草寺などとともにいち早く復興したものと思われる。
戦後アルコール飲料などの無い時分・・・・ エチルアル
コールや、メチルアルコールを水で薄めて飲み、眼が潰
れた・・・・等の話題が頻繁だった。
やっと食料、飲料・・・・等々が出廻ったころ、このデンキ
ブランを飲んだ覚えがある。
そんな戦前戦後の歴史を、この「神谷バー」はじっと見続
けて来て、現在も健全である。
以下は「ウィキペディア」の、~デンキブラン今昔~ より。
神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが
登場して、およそ百年の歳月が流れています。
その間デンキブランは、浅草の移り変わりを、世の
中の移り変わりをじっと見てきました。
ある時は店の片隅で、またある時は手のひらの中
で・・・・ 電気が珍しい明治の頃、目新しいものと
言うと“電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ
品と人々の関心を集めていました・・・・(以下省略)
時代の変遷は、いまや「神谷バー」もエレベーターの付
いた三階建て総合レストランになってしまっていました。
2008年12月 2日 (火)
2008年12月 1日 (月)
ほんとに泣かせるぜ・・この猫は!
浅草の六区ブロードウェイに行くと、私は何時もこの珈琲
屋に入る・・・・ たぶん数年前に新築した可愛らしい珈
琲屋で今日が三度目・・・・
老夫婦が二人だけで慎ましやかにやっている、この店が
見えるところまで来ると、猫がいるのがわった、ねこの横
には餌用の木鉢と水の容器が並んでいる、 始めは猫が
好きで飼っているのだろうけれど客商売なので店の中に
は入れないんだナ・・・? と思った。
それにしても猫を躾けると言う事は中々大変なことなのに
良く躾けてあるナ・・・? と思った。(写真1・2)
と、中からおかみさんが入り口を開けて二つの容器を持っ
て店の奥へ・・・・ (写真3)
猫はそのままじっと座り続けている、その間に二組の客
が入り、私も店に入った・・・・
先ほど入った客の奥さんの方が、もう一度入り口まで行
って引き戸を開け「外は寒いから中へ入んなさい」と手招
きをしている、 猫はそこまでされると首ぐらいまでを店に
入れたがまたバックして入り口のマットの上に座っている。
くだんの客は「どうして入らないの・・? マスターに叱られ
んの・・?」 と言っていたが、余り長く戸を開けて置くわけ
にも行かず自分の席に戻った。
そのうち店のおかみは新規の客への対応も終り、猫に餌
を与えた様だ。
私のコーヒーが出来て、おかみが運んでくれた時に委細
を聞いて分かった・・・・。
猫は野良だと言う・・・・、 餌を与える家はもう一本裏の
通りにもあって、猫は何軒かを廻りながら暮らしているら
しい。
流石に浅草!江戸っ子気質! 野良の餌用の木鉢と水
鉢を店先に常備して置く・・・・
あねさんもあねさんなら猫も猫・・・・ 頂きものをする身の
上では、決して敷居を跨いだりは致しやせん・・・・
と言うことか!
猫が餌を貰った後は、残念ながら私も店の中・・・・
どのような仕草だったのかは想像でしか無いが・・・・
道往く人は脚を止めてカメラを向けていた・・・・(写真4)
以上、六区で出遭った4コマの人情モノでした・・・・・・。
これは上の写真から猫の餌鉢と水鉢をアップしたもの
この写真はおかみが餌鉢を奥に下げたあと、じっと待つ
猫が餌を食べているらしく、通りがかりの人がカメラを向
けている (コーヒー店の窓際の席から・・・)
最近公園で良く見かける、「猫に餌を与えないで下さい」
「ハトに餌をやらないで下さい」・・・・との違いと、思わず
出るため息を処理できない・・・・・・。





















































































































































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